合格祈願に!効くおまじないはこれが一番。でも努力を忘れずにね

大学の学園祭で無料占いをやり続けていると、多くの心配事に出会えます。沢山の方のご縁を頂くことができて、楽しいこと満載といった感じで、随分長い間やってまいりました。その中でも受験生と思しき学生風の人たちや子供を連れたお母さんたちの願いは志望校合格です。

でもそんな相談事をお受けするたびに、学業達成の運っていったいどういうことだろうなんて、考え込んでしまったりします。答えは決まっているような気もするからです。頑張ればなんとかなるよというのがそれ。

それはわかっていても、気になるのが学業運というやつ、という訳で今回は学業を始め、ともかく何でも成功したいと願う人たち向けの卦をご紹介しようと思うのです。それは火天大有(たいゆう)。

上卦は火を表す離(り)卦。賢明さを示しているとされます。離卦は陽−陰−陽になっていて、中が柔やら陰やらを意味し、目や美しさをも意味します。転じて聡明さ、賢明さを表し、輝く光を宿しているかのようです。

対する下卦は天を表す乾(けん)卦。威厳・決断を暗示します。陽−陽−陽であり、欠けたところがありません。ここから玉であったり、球体、あるいは天を象徴します。堅く確かな様子として説明される場合もあるようです。

離明の徳があれば、万事に迷うことがないのは当たり前の真理でしょう。その上、行動は乾の健やかで、怠惰にならないとなれば、何事でも大いにもつことになるに違いないのです。これが大有という卦の意味になります。

もちろん学業は自分の努力がすべてであって運に任せるものでないですが、大有には下卦の乾が示すように健全なる努力が付き従っているのがポイントになります。努力の上に大有が成立し、学業が成功裏に達成されるはずです。

強情さは学業の敵です。一旦決めたらてこでも動かない頑固さが美徳のように語られたりしますが、これはあくまでも方便だと考える方がよいと思います。学習の本義は変化にあって、頑固さとは相容れないからです。柔らかく受け入れる聡明さが必要ですね。

離は着き離れる意味で、臨機応変に目標を設定することを暗示しています。健全、万全な努力が生かされるのは、明確で適切な目標があってこそ。強弓でも的外れであれば、役に立つことがないのと同じことでしょう。

成すべきコトを斑なく、確かなものとする学習が必要です。前述のような相談をされる方、受験生なら本人に、子供さんならご両親に対して学習のコツをアドバイスする時もあります。

まずは全体的な概略を理解してから詳細を見る順番で学習するのが大切です。ものごとの意味は全体との関係でなり立っているため、正しい理解のためには全体に対する理解がどうしても欠かせないからです。

記憶が苦手だと嘆かれる方もいらっしゃいますが、このことにお答えするようでは、もはや占いではなく学習相談になってしまいそうです。それでも、記憶は訓練で上手になるイマジネーション技能だと説明させて頂いてます。

映像化する工夫をすることで記憶力は随分と違ってきます。文字と音声と映像を組み合わせることで記憶が強化されます。繰り返しの方法にも工夫の余地があります。

大目標と小目標の組み合わせを工夫するのも大切な要領です。小さな目標をたくさん達成する方が、大きな目標を一つ達成するより容易になります。なので小さな目標を積み上げることで大目標を目指すのです。

運は流れます。運は固定的な命ではありません。同じ時代をさまざまな人が生きており、それぞれに運が良かったり悪かったりするのですから、自分も同じように運が変動すると考えるのが合理的です。なので考え方と行動で好転させることもできるのです。

願い事全般に効くのはありますか?と尋ねればこれが良いでしょう

普通は特定の願いがいつもあるわけじゃあないですよね?イベントに開店していると、無料という文字を見つけて多くの人が声を掛けてくれますが、何を見ますか?と問うとだんまりになっちゃう人が少なくありません。

何が見れますか?なんてある意味すごく失礼な問い返しをしてくる人も多いのです。内心はむっとしても、裏腹な笑顔で、何でも見させて頂きますよ、と応えるようにしています。結局はなんとなく運勢を全体的に知りたいというのが落ち着く先のようで。

問題があるわけじゃあないけど、運は良いのかしら?と言い替えるとなお、そのような人の気持ちに添うことができるかもしれません。自分の運が悪いから、こうなのかしらという不安を抱きながら生活をしているわけですね。

そんな人たちにお勧めしているのが、この火風鼎(てい)という卦なのです。この卦にはなんとなく他力本願的な要素を感じているなどというと他の先生方にしかられてしまうかも知れませんが、運も他力本願的な要素がないとは言えません。

上卦は陽−陰−陽で火を意味する離(り)卦、になっています。離卦は明るいことを一義にしており、そこから美人な女性だったり、手紙だったり、そして聡明さを意味したり魅力的な意味を持っています。

対する下卦は陽−陽−陰で風を意味する巽(そん)卦です。巽には従う意味や、入り込む性質があり、また行ったり来たりする迷いも示したりしますが、鼎の卦では少し違う意味を担当するようになっているのが、お気に入りのポイントなのです。

上下の形がかなえの形を表すとされてきました。卦を形の類推で意味をつけるというある意味トリッキーな解釈が施されているわけですね。またその読み方が不思議だったり、魅力的だったりして大好きなのです。

かなえは昔の足付き鍋のことでして、火に掛けるための足と持ち運びするための弦が付いています。見た感じでは相当な無理を強いられるイメージなのですが、そこがまた古人のイマジネーションを垣間見れて楽しい。

鍋とは、生では食べられないものを煮炊きして食べられるようにする道具です。不思議なもので、女性は鍋が好きだと聞きます。食事を作るための必須であったりします。また無人島でサバイバルをするなら鍋を持って行けと言ったりするようです。

上卦の離卦を明とし麗(つ)くとし、下卦の巽卦を従うとすれば、明者に麗き従う様子になります。自らの意思で従うところに巽卦のポイントが強調されます。この場合、明は明師という意味で良い先生という意味を持ちます。

同時に先生のポイントは鍋の弦にあります。鍋を下げるためには必ず取っ手が必要で、フランスのブランド鍋のように取っ手が取れたとしても、それは不要になるのではありません。先生は望みを叶えるためのポイントというわけです。

そもそも運の流れが思わしくないときは必ずあります。どれだけ運が良い人であっても、自分の思い通りにコトが運ばない時期があります。それを運が悪いと感じるのであれば、必ずすべての人が運悪いと思うのは当然です。

そのような場合に運の良い人と交際することで運が開けると知っていると、必ず役に立つと思えます。勉強するなら、頭の良い友人を師にするのが鉄則です。どれだけ優秀な教師を探して来ても、優秀な友人一人に匹敵しません。

良い師を得るためには三年探せと先生は言ったのも思い出します。良い師が運を開くための第一歩だと昔教わりました。ついていない時ほど、そのような良い師と巡り会う可能性が高まります。

自分一人ではなく、周囲の運にも気を配ることで、運を良い方向に導けます。良くなるというなら、今の自分に固執しないことが大切なようです。

念のため快気祈願もひとつ押さえておく。これから健康を求める

学生たちから体調について相談を受けるたびに、彼らが身体を犠牲にしてまで何かをする態度を疑問に思います。寝不足になるまで机の前に座っていれば、肩が凝るのは当たり前ですし、慢性化すれば、食欲は損なわれます。

学校の性質上、課題が多くて間に合わないというのを理由にして無理を続ける様子は、まるでブラック企業にでも勤めているかのようです。考えれば理解できるといいつつ、目の前の障害に真正面からぶつかっているのを見ると、知性を疑ってしまうのですが。

健康に対して厳しい態度を取る時代だともいえるでしょう。筋肉を断裂させることによって筋肉を太く育てる、足腰が立たなくなるまで、特訓する。熱を出していても冷たい海に飛び込ませる。旧態依然として、根性論は現役を続けているように見えます。

学生に限らず、会社でも同じような要求を社員に突きつけているようですし、家庭でも両親が揃って子供たちの能力を高めるために、要求に従うことを強要しているとも聞きます。これらのことを考えると、問題は社会全体の規模だと思えるのです。

身体を消耗し続ける日々を頑張る方法など、ありません。昔の仙人も同様の意見を主張したそうです。身体が壊れるまで頑張り続けて健康になれるはずはないからです。身体を顧みない社会的風潮にとっても意味があるだろう卦をご紹介しましょう。

上卦は陰陰陰で地を象徴して、坤(こん)卦になっています。坤は地として理解される他、力がない状態を意味し、あるいは従う態度を意味します。建設的な意味を担う時は、母が象徴するように生産力を担うものと考えられます。

下卦は陰陰陽で雷の象徴で、震(しん)卦になっている。雷は天にあって陽のエネルギーを代表します。上下の卦を合わせて、地雷復(ふく)卦という名前で呼ばれます。一陽来復といって春を表す言葉も残っているのは、この卦のためです。

復卦は冬から夏に戻る春のように、順陰の坤為地から再び純陽の乾為天へと戻る最初だとされています。この順番で卦が変化するので、復卦は十二消長卦という特別なグループの最初に位置づけられる吉卦です。

この卦の形から、下卦の自分が動けば、上卦の相手が順(したが)う様子とも読めます。下卦には上昇エネルギーがあり、上に向かって力強く働きかけます。上の陰卦は力を無くした身体を意味するとも理解できるので、弱った身体の回復を意味します。

テキストには過ちがあれば、速やかに改めて本道に復(かえ)る大切さを説かれています。復は帰る意味であり、どこかで帰るべきところがあると儒教的に考えるのですね。

確かに無理をするのは、本道ではありません。活動の本道は連綿と日々の活動を積み上げることだからです。倒れるまで無理をしても大丈夫と思っているのは、既に本道を外れている状況にあります。

少し疲れたら少し休むのが上策です。もう少しだけと、無理するのが快感になっていた時代もあり、他人に説教をする立場ではありませんが、決して賢明な行動ではなかったといわなければなりません。

この卦を見ながら、休みと前進のインターバルを再確認してみると良いかも知れませんね。周囲に頑張り屋さんがいたりすると、つい無意識にペースを合わせてしまいかねません。自分が取り残されるといった不安があったり、自分が周囲の荷物になっているのではないかという疑念も生じます。

しかし、周りに流されてしまうと健康を損ねる。自分のペースを守るのが大切な本道なのです。人間の身体にメータはついていないのですから、自分の頑張りの限界を求めるのではなく、継続性を重要視する方が建設的です。本道を立ち帰る柔軟さが、健康も人生も建て上げるコツです。

千客万来のかたちもありますよ!人の願いは昔から変化しないもの

良いものであれば、黙っていても売れると考える殿様商売は蔑まれていたはずで、もはやそんなものを目にするとは思いもよりませんでした。大学のサークルが販売企画をしているのに立ち会ったときの経験です。

周囲の模擬店が販売する値段を調べて、この商品ならと決めようとします。自分たちの商品の品質など眼中にありません。客がどのように購入を決定してくれるかには一切気にならないようでした。結果は惨憺たるもので、客は教室内の展示に目をとめようともせず、前の廊下を素通りするばかりだったのです。

客を集めたいというのが彼ら学生の反省でもっとも光った文句だったと思います。客が集まらない、長蛇の列を作って混雑を極める横の教室で動き回る同級生たちをよっぽどうらやましく思ったのに違いありません。

魅力を外に向けて明らかにする必要があります。どれほど、顧客に対して必要な商品であっても、相手が知らなければ、購入行動に結びつくはずがありません。ましてや生活必需品ではない商品を購入する動機もないからです。顧客に魅力を知ってもらうのが大切なのです。

そんな問題ばかりの学生による販売に提示した予祝があります。集まる形、沢地萃(すい)です。単純にいえば、ものや人が集まる姿をしているからです。これでものが集まり人が集まるのを前提に企画できるけようになるはず。

上卦は陰−陽−陽で沢を意味する兌(だ)卦という名前です。一番上だけが陰になっていて後は陽なのは、喜びに溢れているからともいわれ、若い女性が笑っている姿をそこに見いだせます。あるいは外に向かって声を上げているようにも見えます。

対しての下卦は陰−陰−陰で地を意味する坤(こん)卦という名前です。すべて陰になっていて、不活性であれば力ない姿を意味しますが、活性しているならば、実りを結ぶために進んで従う母という働きを生じます。物事には裏腹な二重性が宿っていると分かるのではないかと思います。

全体では平らで耕された土地に流れる沢のイメージになります。陰を地として陽が2カ所だけという姿から、剛明の才徳ある協力者を得て、周囲が集まる様子とされてきました。ということは、このままでは集まるのは客ではなくて、従う人たちということになりそうです。

協力者、家族、同僚、部下が喜んで従っているのが条件です。販売する人の周囲の人たちが見向きもしない商品に集まる客はありえません。身内が高い評価をしているからこそ、その周りに顧客が引きつけられるというのが、この卦の思想なのです。

だからこそ、最初に協力者を集めたいのです。そのためにこの卦は潜在意識に働きかけます。集まったら、心を一つにまとめたいでしょう。この卦はそのための重要な点を指摘します。

この卦を読み解くと若い少女に周囲が付いていく様子にも見えますが、昔は看板娘、今はアイドルといった感じでしょうか。グループを象徴できるようなアイドル的存在はグループを活性化します。結果として地を良い意味で働かせます。

グループ経営と家庭運営は同じ構造だと気づかれたでしょうか。両親がグループの中心であって、子供たちが従う下卦になっているからです。そこに隠居が強いと天地否という交流のない形になってしまうのは面白いと思うのですが、いかがでしょうか?

周囲に知らせるという考え方がとても大切なのです。商品が手元に用意できたら、次は販売と考えるのは急ぎすぎでしょう。まず、周囲の協力者をしっかりとまとめ上げましょう。まだ販売活動ではありません。魅力を知らせる準備を怠らないことです。そうすれば自然と集客することになっていくはずなのです。後は焦らずじっくりと、ですね。

出世してやる!そんなに力まないで、ほっと一息ついておまじない

閉塞状況を打ち破って、物事が前進する予祝があります。時として事態は閉塞して解決の手段を見いだせないときもあるものです。そのような時にどうすれば良いのでしょうか。神仏に頼み、あるいは現実から逃避するのも一法でしょう。しかし、そのような状況を打ち破る予祝をご紹介したいのです。

火地晋(しん)は地火明夷(めいい)から変化してきた卦だといいます。明夷は大地の下に太陽が沈んで隠れてしまった姿を示しています。物事を導くべき知恵は、周囲から顧みられず力を発揮できない状態になっており、閉塞しています。

それに対して晋卦は夜明けを迎えて、地から太陽が昇る姿に転じています。人を導くべき太陽は大地の上に姿を表しました。もはや、優れた知恵を見逃しません。リーダーシップは有効に機能し、部下は一丸となって事態に対処する格好になったのです。

大切な点は自ら明徳を明らかにするという態度でしょう。自分の持っているものを隠していては、周囲はそれを見いだすことができないからです。知恵のあるものは知恵を出せ、から始まる金言をビジネスマンならご存じに違いありません。

ビジネスを成功させようとしても、それぞれが知恵を隠し持っていてはゴールに接近できないでしょう。ビジネスは個人プレーではあり得ないからです。集団で役割を分担し、責任を共有している必要があります。

上卦は陽−陰−陽で離(り)卦で、火のシンボルは明を意味して、麗(つ)く=付く、ことを表します。麗という文字が持つイメージには魅力的なというものも含まれます。知恵は知恵でも悪知恵では問題が拡大する可能性が出てくるでしょう。

下卦は陰−陰−陰で坤(こん)卦、地のシンボルであり、順(したが)う=従う意味です。従うのは柔らかく受けとめて、意思を1つにすることです。羊が従順な動物の例になりますが、彼らは際だって目立つ角を持つ羊に付き従うのだそうです。

物事というものは、明なるものに麗き順うときはその道必ず進むとされます。明なるものとはいったいなんでしょうか?例えば、明確にされた目標であり、その目標によって成し遂げられる価値をはっきりさせることであったりしますよね。工夫の余地があります。

私たちは本質的に秘密作戦にはロマンが一杯詰まっている?なんて思っていたりします。秘密基地を探して裏山を歩き回ったり、箱の中に人に見せられないものを隠してみたり、親に知られないように隣町まで歩いて行ったりといった思い出はあると思います。

しかし、ビジネスは別です。サプライズを求める心理に惑わされてはいけません。ビジネスにサプライズは不要だからです。確かに幸運に恵まれた結果ですというコメントはよく語られます。しかし、それは謙遜している言葉です。

ビジネスとは着想、計画、実行、成果のシーケンスであって、そこに幸運頼みといった要素は入り込む余地がありません。幸運を味方につけるのであって、頼みにするのは少しニュアンスがズレているようです。

部下の思いをくみ取るのは、部下とともに現場に立つ行動にあると分かれば、どのような行動を取ればよいか理解できるはずですが、それをそのまま実行する人は多くありません。これを実行するのがビジネスなのです。

方針を明らかにすること、報償をしっかりと報いる制度など、可能な限り意思を明確に示すことで、ビジネスの方向性を強固なものにする努力は必ず報われます。また部下には日常的に柔軟に対応する訓練が大切です。

へつらいは信用を失う結果を招きますし、通じるのには時がかかるのが普通です。強情で効果を失わないように注意しましょう。リスクは覚悟の上、原則に従って正しく持す心がけです。

仕事はわたしの人生というあなたへ。すべてを丸ごと豊かにします

ビジネスや計画ごとの成功に至る道筋を明確に示す卦も大いに役立つはずです。周易にはそのためと思える卦があります。雷火豊(ほう)という名前がつけられています。豊は、大、盛大、という意です。

特に何もしないのに突然の幸運が舞い込むことは実際にあるものですが、それを期待して何もしないでいては、物事は思い通りにはなりません。また、焦りのためか、道を急ぎすぎては結果を損なってしまいます。

物事を当たり前に、予想通りに結実させるのは、難しい問題なのです。私たちには結末に至る筋道が見えておらず、時々の選択肢も明確ではないのも普通のことだからです。時として好ましい選択が目の前に示されて方針を転換する場合もあります。

方針転換の結果、事業の全体が転覆してしまう目に遭うこともありますが、逆に必要な方針転換ができずに、そのまま暗礁に乗り上げてしまう悲劇にも見舞われることも少なくありません。そのような事態を認識する度に、私たちは確かな方針を求めるのではないでしょうか。

予祝は単に幸運を招くおまじないだというだけではありません。予祝は私たちの潜在意識に働きかけて、幸運の道筋を見分ける手伝いをします。卦の中に結果と要諦を同時に表せるのは、東洋のシンボリズムの特徴だとも言えるでしょう。

上卦は陰−陰−陽の震卦で動くエネルギーを表しています。震卦は自然現象の雷を意味するとされています。しかし、同時に雷によって連想されるさまざまなイメージを指し示します。それらの周辺イメージをまとめると、動くエネルギーを適当な代表的ニュアンスだと考えられます。

震を動くとすれば、上卦にエネルギーが溢れて、十分に活動する力をもっている様子を表しています。表面にまで達する力を蓄えている必要を説いているようにも見えます。ビジネスを前に進め、事業を推進する力は表面的なものではいけませんね。

対する下卦は陽−陰−陽の「離」(り)を明と考えます。離は自然現象の火を中心的なイメージとして持っています。中心は虚になって周辺に対して強い力を発揮します。人に当てはめるならば、美人な女性だと言われますので、そこには魅力という力も付け加えられているようです。

この場合、離を太陽ととらえて上卦の雷と応答させて理解することになるでしょう。離は美しい火であり、火の代表格が太陽にほかなりません。もちろんその他にも火を連想させるすべてのものに対応させることが可能でしょう。例えば、テレビとか、舞台とかなどは頻繁に用いられるイメージです。

離を明とし智と考えることになるのは必然です。私たちの認識の枠組みを観察すれば、これらのものが同じ枠に収まっているのを見いだします。明らかにものを言う人に智を見いだすといった具合に、それらのイメージは互いに密接に関連しています。

すると明らかにして動く様子、明らかにして動くときには、その事は盛んにして大なるに至ると全体を読み取ることができます。あるいは太陽が動きながら天下を照らし臨み、その光明盛大を表現していると考えるのもよいかもしれませんね。

ただ、志気を高ぶらせ傲慢な態度や、残忍酷烈な心を避ける心がけを忘れてはいけません。物事が上首尾に進んでいると、人間はつい我を見失います。つまり、人を見下したり、支配的な態度を取ったりしがちです。これは誰にでも潜む人間の本質的性質です。

結果、誰一人として親しみを感じて助ける者はいなくなります。これが孤独というもの。この卦のスローガンに含まれている要諦は、キーマンの心に通じさせて、孚(まこと)を豊かに表していれば良いというものです。決断の時に誤らないためには孚を意識するのが大切ですね。

契約は決断してもらえただろうか?心配な時にはこのおまじないを

販売活動のクライマックスはクロージングだと言われることが多いように思います。時間を掛けて営業活動を展開して、顧客のニーズに迫ったあれこれと準備を整え、客先と最後の詰めになるのですから、確かにもっとも緊張を強いられるシーンです。

古来、人事を尽くして天命を待つ精神が大切だと言われ続けて、受験戦争を駆け抜けた人もまだまだ多いと思います。最近はそのような根性論が陰を潜めてしまった感もありますが、やはり一人前のビジネスマンとしては、天命の部分が気になるに違いありません。

上卦は陰−陽−陰で水を意味する「坎」(かん)卦です。坎と聞いてあれ?と思った方は易に対する感覚がかなり鋭いと言えるでしょう。坎は通常、凝り固まった問題を暗示しているからです。ひろく水を意味しますが、氾濫して治められない状況です。

下卦は陽−陰−陰で、火を意味する「離」(り)卦です。離卦は着いたり離れたりという、一見反対する性質を持っていいます。そこから易の世界では契約などの書類を意味すると考えられてきました。

全体を見ると三陰三陽がバランスを整えています。三陰三陽卦は少し特殊な性質を持っていると言えるでしょう。その他のものよりも陰陽のバランスが拮抗しており、全体としてのまとまりが強く反映されています。

ものごとはあるべきものがあるべきところにあるのが肝要です。時期を正しくし、場所を正しくしてこそ、なるべきことを全うすることができるからです。どこでもいつでもとは、つまりどこでもなく、いつでもないという意味の言い替えに過ぎません。

火と水の性質を正しく踏まえるというと、意外な気がされるかも知れません。水も火も私たちの生活にとって馴染みのあるものだからです。しかし、東洋思想の流れからの見方が少し違っている点に是非留意して頂きたいと思います。

水と火は陰陽が反対です。陰陽が反対だと、私たちはつい反発し合う結果、お互いが離れてしまうと考えがちでしょう。しかし、陰陽は互いに引かれ合う性質を持っています。お互いを区別しながら引き合うのだと考えます。

ビジネスにせよ、対人関係にせよ合意はどちらか一方の言い分では成立しません。それは支配関係を形成する結果を招くだけです。合意とはお互いの要求を組み合わせて調整することだからです。

各要素がバランスを取っている方が創造性が高まるとも考えられます。片方の要求が一方的に採用されたら、結果的にパターンは一通りに集約されてしまいます。計算によると半分半分で組み合わせる場合がもっとも多様性が高まるのがわかります。

また全体が均質な一個のものでは、次の展開が大がかりで大変だとも知っておくと良いでしょう。1つに特化した事業は変化できないことによって特化しているからです。つまり専用は転用できないのです。専用は便利に違いありません。専用という考え方は、既済とはまったく違った結果を生み出します。

次の展開に向けて準備を始める時を意味するのが既済です。1つの完了は次のものの開始へと接続しています。手元の契約が次の契約に向けてのスタートを意味し、次のゴールはさらに次のゴールに接続して連関します。

1回毎に既済を使って、けりを着けながら前進するのが予祝として使う方法です。けりが着かない問題を後回しにしてしまう事業所と仕事をした経験が多くあります。そのような事業者はだらしない人なのかと思ってしまいました。

既済を予祝として用いるのは決して予想外の幸運に恵まれることを期待してのことではありません。この卦は人事を尽くして天命を待つという精神を内在しており、私たちの努力が着実に実を結ぶことを期待する予祝なのです。

よくわかんないけど、とにかく出世したいならこれがお薦めです

改めて口にすれば当たり前ですが、物事は始めなければ、その善し悪しは分かりません。何が言いたいのかというと、どんなに見込みがあると思っていても、実際に始めてみると、予定外の事態が必ず生起します。その結果、始めなかった方が良かったということにもなりかねません。

今回ご紹介したいのは、ビジネスのチャンスを生かして芽吹かせるための予祝です。いくら投資をしても成果がない、いくら思いを伝えても実らない恋にも。共通しているのは、種子が芽吹くための環境と契機です。

地風升(しょう)は進み昇るという意味の卦です。ビジネスを充実したものにしたい。あるいは本気の思いを相手に伝えたい。事業をこれから大きく伸ばしたい、二人の関係をより実りあるものにしたいという時に用いるがよろしいです。

上卦は陰−陰−陰になっていて坤(こん)と呼ばれます。坤は平らに伸びた大地であって、柔らかく耕された様子を3つ重なった陰が表現しています。坤は平らな地が広がったイメージだと教科書に説明されている通りでしょう。大地は種を蒔かれるのを待っており、中に命を宿して大きく育てる母の力を本質としています。

下卦は陽−陽−陰で、巽(そん)を形作っています。これは巽は風であり、草木をも意味します。風は入り込む性質を持っています。そして風は草木が揺れることで、目に見える形をとるので、風は草木を意味するようになりました。

巽風の中心は一番下の陰の部分に宿るとされています。陰は力が弱いので、マイナスに働く場合もありますが、巽の風は暖かく、そして柔らかく吹き込む春のイメージを宿します。全体として地面の下にある草木の種、空洞を表していると解釈されます。

地下の種に宿った命がいずれ地上に昇って姿を表すので、升という名前がつけられたと説明されます。ビジネス、恋愛と同様に妊娠、出産も一種の事業だと捉えると、升卦を用いて予祝できますね。

さて、人は付き合って見なければ、その人の核心は見えてこないものです。姿形が良く、好ましく思えても、中身がまったく伴っていないということも人間だから有り得ます。

人間は外と中とがまったく関係なくても問題がないからですね。人間はお互いの距離感に応じて反応が変化するのが常態です。ですから、距離感が遠いと好ましく見え、近づいて見ると期待と違ったり、結婚してから後悔したりすることにもなりかねません。

ですから始まりはいつも大きなリスクが伴います。ものごとを始める前に、人とつきあい始める前に結果を性格に予測できません。ですから、始まりに善し悪しはありません。ただ、結果に結びつくことを願うのみです。ですからこの卦で予祝したなら、続けてどのように実りを支援できるかを考える必要があるでしょう。

従順さが良い結果を出す要点だと易は説きます。しかし従順であることと盲順とは違います。盲順は相手を見ず、行き先を任せてしまう無責任な態度です。従順さは似ていてもポイントを外しません。相手をしっかと見極め、自分も参加します。

ビジネスでも肝心なのは、盲順ではなく従順さだとおわかり頂けるでしょうか?どれだけ優れた商品であってもクライアントの要求に応えていなければ、それは商品として成立しません。クライアントの要望を耕して柔らかくすると、中に命が宿っているのを見いだすことができるに違いありません。

生きているものは柔らかい状態であるという考え方は大切です。柔らかいものに私たちは命を感じ取るようになっています。そのように考えれば、柔らかさの中に命が宿るとも説明可能です。升卦は柔らかくなった大地の下に命を宿しているのは先ほどご説明した通りです。

なにはともあれ?仕事とはつまり衣食住を支えることというなら

仕事の原点を考えると生活を支えるためですね。今は仕事に熱心な理由は少しニュアンスが違ってきているようにも思えます。確かに社会的に何かを実現した人たちにスポットライトが当てられる機械が多いかも知れません。しかし、有史以前から現代まで変わらないのは、生活のために働くという事実なのです。

さらに生活の基礎は食事にあります。衣食住といって基本事項は3つありますが、衣服と住まいは変化できます。つまりそれらがなくても生活が成立する可能性がありますが、食事だけは、なくては済まず生きていけません。程度の差ではないのですね。

だから仕事は食事から始まるといえそうです。昔、多く食べない人間は多く働かないといった先輩がいました。あるいはその言葉は真実かも知れません。確かにお腹が空いているのでは、力が出ませんし、頭も働かないように思います。

山雷頤(い)は食べることに関する卦です。この卦が出たときは、どんな相談も食事のあり方にポイントを絞っておはなしを始めますが、たいていは何か大きな問題を抱えていらっしゃるようです。

上顎と下顎が向かい合っている形だと解されています。つまり口のあたりの形だと解釈しているわけです。上は陽−陰−陰で、艮(ごん)という名で山を象ります。止めることが本義です。物事を止めるのはあまり効率的だと考えられませんので、良い意味になりにくいようにも見えます。

一方の下は陰−陰−陽で、震(しん)という名で雷を象ります。エネルギーを意味していると理解しています。そこから上下を合わせると、エネルギーを中に止めると読むようにしています。食事の目的を考えても意味が合致しているように思います。

ビジネスは使える力を集中して用いることです。この卦を予祝として用いるのであれば、グループを囲い込むという状況をシンボライズしています。このような考え方は成立するかを観察しなければいけませんね。

何よりも野放図に顧客を開拓すればよいとはいえないということでしょう。新規客を開拓するといって戸別訪問するのはもっとも効率が悪いそうです。100件の訪問を完了しても契約など一本も取れないかもしれません。だからこそ計画と準備が必要です。

例えばセグメントは顧客見込みを洗い出す作業です。大雑把なリストを手に入れて、過去に購入履歴を持つ人に焦点を絞り込んだり、紹介を受けたりするわけです。これはまさに自分のビジネス範囲の中に見込み客を入れてるのですから、頤の形で表せるでしょう。見込み客を囲い込むたの予祝として頤は利用可能です。

あるいは相手を見極めて生活を共にする家庭の様子を想像してみますと、同じようにシンボルとして活用できる可能性があるとわかります。家庭は食事の中心であって欲しいですし、また力を養う場であって欲しいからです。

上下がかみ合わないと頤ではありません。家庭では両親と子供たちの思いがかみ合っているでしょうか?子供たちの思いはいまや、まったく別のところに彷徨っているのではありませんか?それでは頤にはなりません。

忙しい現代事情はありますが、家族団らんはもはや幻想だと割り切ってしまっても良いと思えないのです。家庭にあるものが団らんでなければ、家族そのものの意味や理由まで失われるのはそれほど先の未来ではないでしょう。私たちが忘れてしまったとしても、それが大切なものだと易経は訴え続けます。

家族がともに食事をするための予祝として用いてください。家の中に力を宿す形だと読めます。頤は卦を使ってそのような古き良き時代の家族のあり方、家庭の本質を私たちに教えてくれているように思えます。皆さんのご家庭に養いの力を祈ります。

仕事運を上向きにしたい?それならこんな風に使えるおまじない

昔の事務所には、壁のどこかに必ず1週間の目標が掲示されていました。あるいは安全の標語が欠かせませんでした。販売中心の事務所であれ、工事現場の事務所であれ、同じような雰囲気を持っていたように記憶しています。

言葉を目立つところに掲げておくと、無意識のうちに何度も記憶されることになり、潜在意識に記憶されて効果はしっかりと発現したのですが、仕事の予祝は目標として潜在意識に語りかける効果を持つという意味では同じことです。

相談に見えられる男性は活躍したいという欲求が見え隠れする傾向があります。仕事が思うように捗らない、その理由を探っていくと職場のライバル関係が問題であったり、上司との折り合いがわるかったりで、自分に問題を見いだせるのはまれです。

女性は職場の人間関係についての相談が多く、男性と対照的です。同じフロアの誰かが自分とそりが合わないとか、好きになれない男性が職場で接触してくるなど、周囲の人たちとの関わり方がストレスを生み出していると自己分析しているようです。

確かに仕事などの共同事業では、努力ではどうにもならない要素があります。自分はできる限りの力を出していると考えているのですが、自己批判的な視線はありません。そのような時にみなさん共通の言い訳があるようで、その言葉を聞くと視線を自分に向けるようにと促すようにしているのです。

それは、「私は頑張っている」のに…という主張ですね。ストレスがあっても、思うように行かない障害があっても、頑張っている私に非はないという考え方が支配しているのです。そこで頑張るのが尊いのではないよ、というと皆さん目を丸くされますね。

頑張るのが尊いことなのであれば、全員が命がけで頑張る戦争が最も尊いという結論になります。これは昔、知り合いの年寄りから聞いた話の受け売りですが、その通りでしょう。ただ頑張るのでは、困りものなのです。

適切な努力を積み上げるのが原則です。頑張るのではなく努力を積み上げるということ。1回にどれだけ積み上げるかに、個人差や状況による差が大きいのですが、積み上げていくことで必ず状況が打開されて、いつか結実します。

転職が上首尾にできるかは大問題になるのは、この点にあります。転職によって積み上げ分は消失します。さらに新しい環境がどのようなものであっても自分の能力でどうにかなるものではありません。ここで予祝など古典的技法が求められているように思います。

生活のための仕事か、仕事のための生活かで求めるべき仕事運は違うはずです。仕事の基礎としての家庭という考え方がとても大切で家庭を度外視しての仕事などに意味はありません。時と場所が区別し、人が行動してシーンを作るからです。

時と場所を整えるには、どのような条件が必要なのかを予祝は語ります。それに耳を傾けて準備するのがタイミングを計る要点になってくるでしょう。行動することで状況が変化し始めます。正しい行動を判断するポイントはどこでしょうか。予祝に含まれているはずです。

一人での開運など有り得ません。開運はみんなの開運術でなければならないのです。周囲の人と自分との関わりで運が良いのか、それとも、もうひとつなのかが決まってきます。ですから、家族も同僚も一緒に開運の恩恵を受けるように考えるのが大切です。

開運術としての交際を考えてみるのも良いかも知れません。幸運は人の繋がりを伝わってやってきます。人付き合いが苦手では、効率的ではないでしょう。少しでも交際の幅を広げるにはどうすれば良いかを考えてみるのが良いと思います。

これからご紹介する予祝を頼りに開運を目指して頂ければと思います。