どれだけ現代科学全盛でも占いはしてほしいと思うものです

イベントにかり出されて、無料の占いコーナー開設していますと、一日で数百人近くの人たちが、相談のためにいらっしゃいます。中にはお医者様や、技術者の方も大勢いらっしゃって、職業的には千差万別です。

でも男性が一人でおいでになるよりは、二人連れで女性に連れられていらっしゃるように見えます。話をお聞きしていますと、男性がより合理的な考え方を持っているというよりは、とても臆病で占いで当てられたくないという思いがあるようです。

非科学的な占いなのに行列ができるというわけです。彼らは見透かされるのを恐れているのですね。つまりそれは占いが当たるという前提の考え方です。おびえながら、前の人の占い結果をのぞき込み、私の解説に耳を傾けている様子は少しかわいらしくも見えます。

科学は占いを解明できていません。占いの世界観は現代的な世界観とは違っています。世界は一人一人の人間と応答しているというと科学的なものでないことは明確です。でも私たちはどこかで自分が世界と繋がっていると感じているのです。つまり科学は私たち人間を解明できていないのです。

よく占いというと統計的なものですよねと、念を押される方がいらっしゃいます。そのような方にいちいち反論していてはキリがありません。統計学は決して古いものではありません。むしろ数学の世界では新顔です。そのような統計で古い占いができているはずもなく、また統計的な手法では占いが判明しないのも当たり前です。

毎回大学のイベントでも長い行列ができますが、その行列に理学部の教授が並んでた時があります。その教授はとくに占いを批判するのではなく、原理にとても興味があったようです。占いが終わると二三の質問をして、納得して帰られました。

占いに求めてらっしゃる問題には恋愛や仕事、健康などとバリエーションがありますが、不確実な将来を約束して欲しいという思いが共通しているようです。そこで占いは事前に問題を見つけようと工夫するのです。

一方でばんばっていれば結果は付いてくると、自分を納得させようとしているはずです。では結果はどうであれ努力に集中すればよいはずですが、それができない。それは現実は甘くないという厳しく反論する声があるからです。結果を約束して欲しいというのが本当の気持ちになるでしょうか。

願いを叶えるための占いを活用する時代がやってきた

現在の運勢を計る占いが普通に見られるものです。運勢には浮き沈みがありますから、浮いている状態であれば、良い結果になりますが、そうでない場合もあります。

良い結果と思わしくない結果の両方が有り得ますが、今までの占いは、結果を出してそれで終わりという場合が少なくありませんでした。よりよくするにはどうすれば良いのか、あるいはどうすれば悪い結果を良い方向に変化させられるかが必要ですよね。

どうなれば良いかを示すおまじないを今回ご紹介することになったのも同じ理由からです。どうなれば良いかをおまじないすることで目標が明確になっていくのが分かるはずです。

願いを叶えるための仕掛けにはいろいろあります。信じることがすべての前提にありますが、それだけで実現するのではありません。場合によっては関係者全員を巻き込む必要もあるからです。

ここでのおまじないは潜在意識に働きかけることを力にします。ですから実はおまじないそのものに願いを叶える力があるのではなく、あなたの潜在意識が願いを叶えるのです。

合格祈願に!効くおまじないはこれが一番。でも努力を忘れずにね

大学の学園祭で無料占いをやり続けていると、多くの心配事に出会えます。沢山の方のご縁を頂くことができて、楽しいこと満載といった感じで、随分長い間やってまいりました。その中でも受験生と思しき学生風の人たちや子供を連れたお母さんたちの願いは志望校合格です。

でもそんな相談事をお受けするたびに、学業達成の運っていったいどういうことだろうなんて、考え込んでしまったりします。答えは決まっているような気もするからです。頑張ればなんとかなるよというのがそれ。

それはわかっていても、気になるのが学業運というやつ、という訳で今回は学業を始め、ともかく何でも成功したいと願う人たち向けの卦をご紹介しようと思うのです。それは火天大有(たいゆう)。

上卦は火を表す離(り)卦。賢明さを示しているとされます。離卦は陽−陰−陽になっていて、中が柔やら陰やらを意味し、目や美しさをも意味します。転じて聡明さ、賢明さを表し、輝く光を宿しているかのようです。

対する下卦は天を表す乾(けん)卦。威厳・決断を暗示します。陽−陽−陽であり、欠けたところがありません。ここから玉であったり、球体、あるいは天を象徴します。堅く確かな様子として説明される場合もあるようです。

離明の徳があれば、万事に迷うことがないのは当たり前の真理でしょう。その上、行動は乾の健やかで、怠惰にならないとなれば、何事でも大いにもつことになるに違いないのです。これが大有という卦の意味になります。

もちろん学業は自分の努力がすべてであって運に任せるものでないですが、大有には下卦の乾が示すように健全なる努力が付き従っているのがポイントになります。努力の上に大有が成立し、学業が成功裏に達成されるはずです。

強情さは学業の敵です。一旦決めたらてこでも動かない頑固さが美徳のように語られたりしますが、これはあくまでも方便だと考える方がよいと思います。学習の本義は変化にあって、頑固さとは相容れないからです。柔らかく受け入れる聡明さが必要ですね。

離は着き離れる意味で、臨機応変に目標を設定することを暗示しています。健全、万全な努力が生かされるのは、明確で適切な目標があってこそ。強弓でも的外れであれば、役に立つことがないのと同じことでしょう。

成すべきコトを斑なく、確かなものとする学習が必要です。前述のような相談をされる方、受験生なら本人に、子供さんならご両親に対して学習のコツをアドバイスする時もあります。

まずは全体的な概略を理解してから詳細を見る順番で学習するのが大切です。ものごとの意味は全体との関係でなり立っているため、正しい理解のためには全体に対する理解がどうしても欠かせないからです。

記憶が苦手だと嘆かれる方もいらっしゃいますが、このことにお答えするようでは、もはや占いではなく学習相談になってしまいそうです。それでも、記憶は訓練で上手になるイマジネーション技能だと説明させて頂いてます。

映像化する工夫をすることで記憶力は随分と違ってきます。文字と音声と映像を組み合わせることで記憶が強化されます。繰り返しの方法にも工夫の余地があります。

大目標と小目標の組み合わせを工夫するのも大切な要領です。小さな目標をたくさん達成する方が、大きな目標を一つ達成するより容易になります。なので小さな目標を積み上げることで大目標を目指すのです。

運は流れます。運は固定的な命ではありません。同じ時代をさまざまな人が生きており、それぞれに運が良かったり悪かったりするのですから、自分も同じように運が変動すると考えるのが合理的です。なので考え方と行動で好転させることもできるのです。

願い事全般に効くのはありますか?と尋ねればこれが良いでしょう

普通は特定の願いがいつもあるわけじゃあないですよね?イベントに開店していると、無料という文字を見つけて多くの人が声を掛けてくれますが、何を見ますか?と問うとだんまりになっちゃう人が少なくありません。

何が見れますか?なんてある意味すごく失礼な問い返しをしてくる人も多いのです。内心はむっとしても、裏腹な笑顔で、何でも見させて頂きますよ、と応えるようにしています。結局はなんとなく運勢を全体的に知りたいというのが落ち着く先のようで。

問題があるわけじゃあないけど、運は良いのかしら?と言い替えるとなお、そのような人の気持ちに添うことができるかもしれません。自分の運が悪いから、こうなのかしらという不安を抱きながら生活をしているわけですね。

そんな人たちにお勧めしているのが、この火風鼎(てい)という卦なのです。この卦にはなんとなく他力本願的な要素を感じているなどというと他の先生方にしかられてしまうかも知れませんが、運も他力本願的な要素がないとは言えません。

上卦は陽−陰−陽で火を意味する離(り)卦、になっています。離卦は明るいことを一義にしており、そこから美人な女性だったり、手紙だったり、そして聡明さを意味したり魅力的な意味を持っています。

対する下卦は陽−陽−陰で風を意味する巽(そん)卦です。巽には従う意味や、入り込む性質があり、また行ったり来たりする迷いも示したりしますが、鼎の卦では少し違う意味を担当するようになっているのが、お気に入りのポイントなのです。

上下の形がかなえの形を表すとされてきました。卦を形の類推で意味をつけるというある意味トリッキーな解釈が施されているわけですね。またその読み方が不思議だったり、魅力的だったりして大好きなのです。

かなえは昔の足付き鍋のことでして、火に掛けるための足と持ち運びするための弦が付いています。見た感じでは相当な無理を強いられるイメージなのですが、そこがまた古人のイマジネーションを垣間見れて楽しい。

鍋とは、生では食べられないものを煮炊きして食べられるようにする道具です。不思議なもので、女性は鍋が好きだと聞きます。食事を作るための必須であったりします。また無人島でサバイバルをするなら鍋を持って行けと言ったりするようです。

上卦の離卦を明とし麗(つ)くとし、下卦の巽卦を従うとすれば、明者に麗き従う様子になります。自らの意思で従うところに巽卦のポイントが強調されます。この場合、明は明師という意味で良い先生という意味を持ちます。

同時に先生のポイントは鍋の弦にあります。鍋を下げるためには必ず取っ手が必要で、フランスのブランド鍋のように取っ手が取れたとしても、それは不要になるのではありません。先生は望みを叶えるためのポイントというわけです。

そもそも運の流れが思わしくないときは必ずあります。どれだけ運が良い人であっても、自分の思い通りにコトが運ばない時期があります。それを運が悪いと感じるのであれば、必ずすべての人が運悪いと思うのは当然です。

そのような場合に運の良い人と交際することで運が開けると知っていると、必ず役に立つと思えます。勉強するなら、頭の良い友人を師にするのが鉄則です。どれだけ優秀な教師を探して来ても、優秀な友人一人に匹敵しません。

良い師を得るためには三年探せと先生は言ったのも思い出します。良い師が運を開くための第一歩だと昔教わりました。ついていない時ほど、そのような良い師と巡り会う可能性が高まります。

自分一人ではなく、周囲の運にも気を配ることで、運を良い方向に導けます。良くなるというなら、今の自分に固執しないことが大切なようです。

念のため快気祈願もひとつ押さえておく。これから健康を求める

学生たちから体調について相談を受けるたびに、彼らが身体を犠牲にしてまで何かをする態度を疑問に思います。寝不足になるまで机の前に座っていれば、肩が凝るのは当たり前ですし、慢性化すれば、食欲は損なわれます。

学校の性質上、課題が多くて間に合わないというのを理由にして無理を続ける様子は、まるでブラック企業にでも勤めているかのようです。考えれば理解できるといいつつ、目の前の障害に真正面からぶつかっているのを見ると、知性を疑ってしまうのですが。

健康に対して厳しい態度を取る時代だともいえるでしょう。筋肉を断裂させることによって筋肉を太く育てる、足腰が立たなくなるまで、特訓する。熱を出していても冷たい海に飛び込ませる。旧態依然として、根性論は現役を続けているように見えます。

学生に限らず、会社でも同じような要求を社員に突きつけているようですし、家庭でも両親が揃って子供たちの能力を高めるために、要求に従うことを強要しているとも聞きます。これらのことを考えると、問題は社会全体の規模だと思えるのです。

身体を消耗し続ける日々を頑張る方法など、ありません。昔の仙人も同様の意見を主張したそうです。身体が壊れるまで頑張り続けて健康になれるはずはないからです。身体を顧みない社会的風潮にとっても意味があるだろう卦をご紹介しましょう。

上卦は陰陰陰で地を象徴して、坤(こん)卦になっています。坤は地として理解される他、力がない状態を意味し、あるいは従う態度を意味します。建設的な意味を担う時は、母が象徴するように生産力を担うものと考えられます。

下卦は陰陰陽で雷の象徴で、震(しん)卦になっている。雷は天にあって陽のエネルギーを代表します。上下の卦を合わせて、地雷復(ふく)卦という名前で呼ばれます。一陽来復といって春を表す言葉も残っているのは、この卦のためです。

復卦は冬から夏に戻る春のように、順陰の坤為地から再び純陽の乾為天へと戻る最初だとされています。この順番で卦が変化するので、復卦は十二消長卦という特別なグループの最初に位置づけられる吉卦です。

この卦の形から、下卦の自分が動けば、上卦の相手が順(したが)う様子とも読めます。下卦には上昇エネルギーがあり、上に向かって力強く働きかけます。上の陰卦は力を無くした身体を意味するとも理解できるので、弱った身体の回復を意味します。

テキストには過ちがあれば、速やかに改めて本道に復(かえ)る大切さを説かれています。復は帰る意味であり、どこかで帰るべきところがあると儒教的に考えるのですね。

確かに無理をするのは、本道ではありません。活動の本道は連綿と日々の活動を積み上げることだからです。倒れるまで無理をしても大丈夫と思っているのは、既に本道を外れている状況にあります。

少し疲れたら少し休むのが上策です。もう少しだけと、無理するのが快感になっていた時代もあり、他人に説教をする立場ではありませんが、決して賢明な行動ではなかったといわなければなりません。

この卦を見ながら、休みと前進のインターバルを再確認してみると良いかも知れませんね。周囲に頑張り屋さんがいたりすると、つい無意識にペースを合わせてしまいかねません。自分が取り残されるといった不安があったり、自分が周囲の荷物になっているのではないかという疑念も生じます。

しかし、周りに流されてしまうと健康を損ねる。自分のペースを守るのが大切な本道なのです。人間の身体にメータはついていないのですから、自分の頑張りの限界を求めるのではなく、継続性を重要視する方が建設的です。本道を立ち帰る柔軟さが、健康も人生も建て上げるコツです。

千客万来のかたちもありますよ!人の願いは昔から変化しないもの

良いものであれば、黙っていても売れると考える殿様商売は蔑まれていたはずで、もはやそんなものを目にするとは思いもよりませんでした。大学のサークルが販売企画をしているのに立ち会ったときの経験です。

周囲の模擬店が販売する値段を調べて、この商品ならと決めようとします。自分たちの商品の品質など眼中にありません。客がどのように購入を決定してくれるかには一切気にならないようでした。結果は惨憺たるもので、客は教室内の展示に目をとめようともせず、前の廊下を素通りするばかりだったのです。

客を集めたいというのが彼ら学生の反省でもっとも光った文句だったと思います。客が集まらない、長蛇の列を作って混雑を極める横の教室で動き回る同級生たちをよっぽどうらやましく思ったのに違いありません。

魅力を外に向けて明らかにする必要があります。どれほど、顧客に対して必要な商品であっても、相手が知らなければ、購入行動に結びつくはずがありません。ましてや生活必需品ではない商品を購入する動機もないからです。顧客に魅力を知ってもらうのが大切なのです。

そんな問題ばかりの学生による販売に提示した予祝があります。集まる形、沢地萃(すい)です。単純にいえば、ものや人が集まる姿をしているからです。これでものが集まり人が集まるのを前提に企画できるけようになるはず。

上卦は陰−陽−陽で沢を意味する兌(だ)卦という名前です。一番上だけが陰になっていて後は陽なのは、喜びに溢れているからともいわれ、若い女性が笑っている姿をそこに見いだせます。あるいは外に向かって声を上げているようにも見えます。

対しての下卦は陰−陰−陰で地を意味する坤(こん)卦という名前です。すべて陰になっていて、不活性であれば力ない姿を意味しますが、活性しているならば、実りを結ぶために進んで従う母という働きを生じます。物事には裏腹な二重性が宿っていると分かるのではないかと思います。

全体では平らで耕された土地に流れる沢のイメージになります。陰を地として陽が2カ所だけという姿から、剛明の才徳ある協力者を得て、周囲が集まる様子とされてきました。ということは、このままでは集まるのは客ではなくて、従う人たちということになりそうです。

協力者、家族、同僚、部下が喜んで従っているのが条件です。販売する人の周囲の人たちが見向きもしない商品に集まる客はありえません。身内が高い評価をしているからこそ、その周りに顧客が引きつけられるというのが、この卦の思想なのです。

だからこそ、最初に協力者を集めたいのです。そのためにこの卦は潜在意識に働きかけます。集まったら、心を一つにまとめたいでしょう。この卦はそのための重要な点を指摘します。

この卦を読み解くと若い少女に周囲が付いていく様子にも見えますが、昔は看板娘、今はアイドルといった感じでしょうか。グループを象徴できるようなアイドル的存在はグループを活性化します。結果として地を良い意味で働かせます。

グループ経営と家庭運営は同じ構造だと気づかれたでしょうか。両親がグループの中心であって、子供たちが従う下卦になっているからです。そこに隠居が強いと天地否という交流のない形になってしまうのは面白いと思うのですが、いかがでしょうか?

周囲に知らせるという考え方がとても大切なのです。商品が手元に用意できたら、次は販売と考えるのは急ぎすぎでしょう。まず、周囲の協力者をしっかりとまとめ上げましょう。まだ販売活動ではありません。魅力を知らせる準備を怠らないことです。そうすれば自然と集客することになっていくはずなのです。後は焦らずじっくりと、ですね。

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