最初に使ってみたいのは出会いをゲットするための形ではないでしょうか。ビジネスであれ恋愛であれ話が前に進みません。そんな思いに答える八卦があります。それは理屈を超えた出会いを表す卦である沢山咸。

この卦は上から陰−陽−陽.陽−陰−陰の形になっています。八卦で使う算木では、真ん中に区切りを入れて陰を表します。上と下の2つに分けて、3つずつにすると上は水が流れる谷を意味し、下は高い囲いの形で、山の意味を読み取ります。

たしかにビジネスも恋愛も出会うことから始まります。でも望み通りの人が、わかりやすい格好をして目の前に表れるといった確率はそれほど高くないように思います。出会いは合理的に計算できません。

また、どこかに宝物が隠されていても、それを誰かが知っていれば、既に無くなっているでしょう。出会いは知り合いに紹介されることで上手くコトが運ぶのもまれなのだと思うのです。これを紹介ビジネスで紹介された得意先と上手くいかない例で経験しました。

出会いは計算できませんし、紹介に頼ることもできません。だからこそ、出会いは偶然であるように思われている節があります。偶然だからなすすべがないという訳です。しかし、そうでもないという理解があります。

出会いが少なくなってしまい、あるいは最近はめっきりという事態に陥るのは、無意識のうちに取捨選択しているのが本当の原因だと考えられます。まったく人を見ることすらなかったとか、部屋に一日中閉じこもって誰とも口をきかなかったなら、それは別の話。

通常、合理化したり、メリット・デメリットを考えてしまう傾向が強くあるのです。これは常識ですから悪いことではありません。道路ですれ違う人に出会いを期待して声を掛けているなら、誰でも不審者扱いされるか、異常者と思われるでしょう。

特に用事がなければ、人に声を掛けるのは迷惑な行為だという考えはとても常識的なのです。だからこそ、その常識的な理性の判断が強すぎる場合があって、出会いのチャンスをみすみす見逃してしまう結果になるのです。

そもそも時間を掛けて付き合って見なければ人は分かりません。昔から馬には乗ってみよ、人には添うてみよと言われるのには合理的な意味があります。見かけとは全く違う中身を持てるのが人間だからです。

すごく厳しい雰囲気の男性が極端に優しい内面を持っていたり、好ましいイケメンだと思っていたら、大して中身のない人に過ぎなかったりします。むしろいつも、人の外見と内面との差が大きくて私たちを混乱させているのが、当たり前のような気がしませんか?

思いやりあふれる父親がどこでも同じ態度ですべての人に接するのを常識的には期待できませんよね。人の価値は置かれた場所で発揮される性質を持っています。職場毎に必要なスキルはまったく違うし、空間が変われば求められる能力が変わります。すべてに万能な人などあり得ないのです。

理性では計り知れないのが人との出会いです。だから卦は自分の認識を変化させるために働きます。合理性で出会いを判断してはいけないことを思い起こさせてくれるのです。

人との相性も合理的ではありません。しかし、卦の形をもう一度見てみると、そびえる山の上から流れる谷川の形。物事が流れて、下を潤すめでたい形です。周囲に山が蓄えた水を提供する生きた山の形になっていると見るのです。

この形を意識して予祝すれば、反射的に除いていた縁に巡り会うことが可能になるに違いありません。江戸時代には町の占い師さんがこぞってこの形を看板に使っていたそうです。彼らの気持ちを察することができますよね。