なんでもかんでも宗教祭儀で理解して良いものでしょうか?新聞やテレビのニュースで古代の遺跡が発掘されたのを見聞きする度に、それらに付された解説にそんな疑問を感じるのです。生活が祭儀だけで成立したのだろうかと。
昔は未開だったので、神様頼みだったのだと言われたり、なんとなく信じているのが現代なのかもしれません。そんな現代でも点々と古代からの習慣みたいなものが残されています。「予祝」もそんな時代に取り残されたもののひとつといえるかも知れません。
現代は科学によって開かれて、すべては思うままになったか?と問われれば、そうですよと即断できるのは楽天家だと思います。すべての人が思い通りに生きることができているはずはないからです。思い通りに行かないのは、本人の責任だと断じることなどできるはずがありません。
おまじないの起源はそんなところにあるのかも知れないと、友人たちとの対話で説明します。科学がどれだけ進歩しても、生きることの問題をすべて解決できるとは言えないからです。科学が世界を区切って、箱の中に閉じ込めようとしてもそこからはみ出してしまう人間の生。
それらを受け止めようとし続けているのが験担ぎとか迷信とか言われるものではないかと思うのです。科学は中身を明らかにすることによって物事を解明しようとしますから、必然的に科学には限界がある。古代とはブラックボックスをどう扱うかが違うのです。
現代の科学が人間の意識を分析対象とした結果、潜在意識と顕在意識という概念を基礎にするようになりした。さまざまに潜在意識の中身を明らかにしようとする試みが続いています。それは潜在意識を活用できれば大きな力になるからに他なりません。少なくともそんな期待が潜在意識にあります。
その成果として目標の明確化による潜在意識の活性化などは有名な技法になったといえます。目標を明確化すれば、潜在意識が活性化するというわけですが、それでもメカニズムが解明されたのではありません。メカニズムへのアプローチは実証主義的な経験の集約といった前近代的、古典的な方法に戻ってしまった感があります。
それゆえ、潜在意識の存在まで怪しい科学だと断じる学者まで出てきていますが、それでもビジュアライゼーションなど目標達成のイメージを視覚化するといったやり方には、大きな効果があります。
実は周囲の人の意識は潜在意識そのものです。周囲の人たちの意識は自分からすれば、他人の意識なので、顕在化することはありませんが、アプローチ可能な意識として確かにあるはずです。そして気づかないうちに自分自身に影響を与えています。
ですから家族、同僚、友人は大きな潜在意識の場です。周囲を取り囲んでいるのは、自分の潜在意識です。具体的に周囲にいる人たちが協力者になるか敵対者になるかによって、自分の願いが叶うか、困難かは大きく左右されるのは当然です。
潜在意識としての周囲の人たちとの付き合いは支配と願いの違いを目の前に突きつけます。制御と祈りの力とで目的は同じですが、潜在意識は支配を徹底的に拒否します。周囲の人たちも独立した意識を持っているからです。願いを伝える祈りはまったく違った働き方をするのです。
また命令と願いの違いが何かを押さえておくことでおまじないの効き方は大きく異なってくるでしょう。相手に拒否権を担保する点に違いがあります。命令に無償の拒否権はありません。願いは無償の拒否権を認める必要があるのです。
このように予祝がおまじないである限り、効果は約束ではない予祝を用いる人が、自分の潜在意識とどのように付き合うのかが大きな違いを生み出しているからです。
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