なにはともあれ?仕事とはつまり衣食住を支えることというなら

仕事の原点を考えると生活を支えるためですね。今は仕事に熱心な理由は少しニュアンスが違ってきているようにも思えます。確かに社会的に何かを実現した人たちにスポットライトが当てられる機械が多いかも知れません。しかし、有史以前から現代まで変わらないのは、生活のために働くという事実なのです。

さらに生活の基礎は食事にあります。衣食住といって基本事項は3つありますが、衣服と住まいは変化できます。つまりそれらがなくても生活が成立する可能性がありますが、食事だけは、なくては済まず生きていけません。程度の差ではないのですね。

だから仕事は食事から始まるといえそうです。昔、多く食べない人間は多く働かないといった先輩がいました。あるいはその言葉は真実かも知れません。確かにお腹が空いているのでは、力が出ませんし、頭も働かないように思います。

山雷頤(い)は食べることに関する卦です。この卦が出たときは、どんな相談も食事のあり方にポイントを絞っておはなしを始めますが、たいていは何か大きな問題を抱えていらっしゃるようです。

上顎と下顎が向かい合っている形だと解されています。つまり口のあたりの形だと解釈しているわけです。上は陽−陰−陰で、艮(ごん)という名で山を象ります。止めることが本義です。物事を止めるのはあまり効率的だと考えられませんので、良い意味になりにくいようにも見えます。

一方の下は陰−陰−陽で、震(しん)という名で雷を象ります。エネルギーを意味していると理解しています。そこから上下を合わせると、エネルギーを中に止めると読むようにしています。食事の目的を考えても意味が合致しているように思います。

ビジネスは使える力を集中して用いることです。この卦を予祝として用いるのであれば、グループを囲い込むという状況をシンボライズしています。このような考え方は成立するかを観察しなければいけませんね。

何よりも野放図に顧客を開拓すればよいとはいえないということでしょう。新規客を開拓するといって戸別訪問するのはもっとも効率が悪いそうです。100件の訪問を完了しても契約など一本も取れないかもしれません。だからこそ計画と準備が必要です。

例えばセグメントは顧客見込みを洗い出す作業です。大雑把なリストを手に入れて、過去に購入履歴を持つ人に焦点を絞り込んだり、紹介を受けたりするわけです。これはまさに自分のビジネス範囲の中に見込み客を入れてるのですから、頤の形で表せるでしょう。見込み客を囲い込むたの予祝として頤は利用可能です。

あるいは相手を見極めて生活を共にする家庭の様子を想像してみますと、同じようにシンボルとして活用できる可能性があるとわかります。家庭は食事の中心であって欲しいですし、また力を養う場であって欲しいからです。

上下がかみ合わないと頤ではありません。家庭では両親と子供たちの思いがかみ合っているでしょうか?子供たちの思いはいまや、まったく別のところに彷徨っているのではありませんか?それでは頤にはなりません。

忙しい現代事情はありますが、家族団らんはもはや幻想だと割り切ってしまっても良いと思えないのです。家庭にあるものが団らんでなければ、家族そのものの意味や理由まで失われるのはそれほど先の未来ではないでしょう。私たちが忘れてしまったとしても、それが大切なものだと易経は訴え続けます。

家族がともに食事をするための予祝として用いてください。家の中に力を宿す形だと読めます。頤は卦を使ってそのような古き良き時代の家族のあり方、家庭の本質を私たちに教えてくれているように思えます。皆さんのご家庭に養いの力を祈ります。

仕事運を上向きにしたい?それならこんな風に使えるおまじない

昔の事務所には、壁のどこかに必ず1週間の目標が掲示されていました。あるいは安全の標語が欠かせませんでした。販売中心の事務所であれ、工事現場の事務所であれ、同じような雰囲気を持っていたように記憶しています。

言葉を目立つところに掲げておくと、無意識のうちに何度も記憶されることになり、潜在意識に記憶されて効果はしっかりと発現したのですが、仕事の予祝は目標として潜在意識に語りかける効果を持つという意味では同じことです。

相談に見えられる男性は活躍したいという欲求が見え隠れする傾向があります。仕事が思うように捗らない、その理由を探っていくと職場のライバル関係が問題であったり、上司との折り合いがわるかったりで、自分に問題を見いだせるのはまれです。

女性は職場の人間関係についての相談が多く、男性と対照的です。同じフロアの誰かが自分とそりが合わないとか、好きになれない男性が職場で接触してくるなど、周囲の人たちとの関わり方がストレスを生み出していると自己分析しているようです。

確かに仕事などの共同事業では、努力ではどうにもならない要素があります。自分はできる限りの力を出していると考えているのですが、自己批判的な視線はありません。そのような時にみなさん共通の言い訳があるようで、その言葉を聞くと視線を自分に向けるようにと促すようにしているのです。

それは、「私は頑張っている」のに…という主張ですね。ストレスがあっても、思うように行かない障害があっても、頑張っている私に非はないという考え方が支配しているのです。そこで頑張るのが尊いのではないよ、というと皆さん目を丸くされますね。

頑張るのが尊いことなのであれば、全員が命がけで頑張る戦争が最も尊いという結論になります。これは昔、知り合いの年寄りから聞いた話の受け売りですが、その通りでしょう。ただ頑張るのでは、困りものなのです。

適切な努力を積み上げるのが原則です。頑張るのではなく努力を積み上げるということ。1回にどれだけ積み上げるかに、個人差や状況による差が大きいのですが、積み上げていくことで必ず状況が打開されて、いつか結実します。

転職が上首尾にできるかは大問題になるのは、この点にあります。転職によって積み上げ分は消失します。さらに新しい環境がどのようなものであっても自分の能力でどうにかなるものではありません。ここで予祝など古典的技法が求められているように思います。

生活のための仕事か、仕事のための生活かで求めるべき仕事運は違うはずです。仕事の基礎としての家庭という考え方がとても大切で家庭を度外視しての仕事などに意味はありません。時と場所が区別し、人が行動してシーンを作るからです。

時と場所を整えるには、どのような条件が必要なのかを予祝は語ります。それに耳を傾けて準備するのがタイミングを計る要点になってくるでしょう。行動することで状況が変化し始めます。正しい行動を判断するポイントはどこでしょうか。予祝に含まれているはずです。

一人での開運など有り得ません。開運はみんなの開運術でなければならないのです。周囲の人と自分との関わりで運が良いのか、それとも、もうひとつなのかが決まってきます。ですから、家族も同僚も一緒に開運の恩恵を受けるように考えるのが大切です。

開運術としての交際を考えてみるのも良いかも知れません。幸運は人の繋がりを伝わってやってきます。人付き合いが苦手では、効率的ではないでしょう。少しでも交際の幅を広げるにはどうすれば良いかを考えてみるのが良いと思います。

これからご紹介する予祝を頼りに開運を目指して頂ければと思います。

奥手な貴女のために。着実に二人で歩みたい時のおまじないをする

イベントなどで無料の占いコーナーを担当させて頂いていると、妙齢の女性が相談にいらっしゃるのが少なくありません。そのご婦人方の相談内容は多かれ少なかれ、ご自分の恋愛運に関わることであるのも共通している点でしょう。

そんなときには結婚時期を焦っている女性の結婚運ってどうなんだろななんて考えてしまうんですよ。だって自分の恋愛運に疑問を感じたから今目の前に座っているんですよね、って。もちろんそんなことを直接的に申し上げることなんかしませんけどね。

今回は特に結婚に関わる卦を取り上げて、結婚運をどのように開けばよいかを考えてみましょう。風山漸という卦です。この卦の上卦が陽−陽−陰です。この並びはお馴染みの形になっていますが、巽卦は風の形。従って行き巡る意味を持ってます。

対する下卦は陽−陰−陰です。この卦は艮(ごん)卦と言います。艮卦は山の形だとされており。物事を止める作用を表します。この形が良い意味を担うことはあまりありません。物事は変転を常態としますので、とどまることが物事の条理に反していると考えられるからです。

この上下が一緒になって、内に止まり守って徳を有し、外では人に従うというように、物事が段階を追って一歩一歩進んで成長していく様子を読み取るわけですね。段階を踏んでひとつずつ進むことが物事を着実に進めることであって、リスクを回避しながら物事を運ぶのに適しています。

漸次すくすくと成長するというとても良い卦ですので、予祝に用いるのはとても効果が高いと考えられます。事業を興す場合にも用いられることが多いようですが、結婚もまたある意味では、事業を興すことに似ています。なのでどちらに対してもこの卦は使えます。

スピード重視の現代にあっても、原則は変化しません。一気に進まないことは正しい方法なのです。コップに水を入れるためにバケツでは注がないですよね。そんなことをすれば無駄ばかりが増えてしまって、ちっとも効率的だとはいえないでしょう。

それに少しずつ変化していく道程を楽しむことは大切なたしなみです。子供の成長の過程を記録するのが親の楽しみのひとつなのと同様です。結婚に至る道程もまた、二人の成長の過程だからです。

古くは進むに序次を正しく従うことが礼だからという点が根拠になっていたのですが、礼という考え方が廃れたとしても、物事の仕切りそのものがなくなったのではありませんから、やはりどこかしらに区切りとしての礼があり続けているはずです。

古いテキストには女帰(とつ)ぐに似て吉とは、止まって巽(したが)い、動けば竆することがないとあります。物事は動き続けて成し遂げるのではなく、止まって人に付き従うことを繰り返す中で正しい道が示されていくからです。

風山漸の卦が示す結婚運を開く世界は、感覚に身を任せたゴールインとは逆の意味を持っています。運命の相手が白馬に乗って突然、交差点で鉢合わせするといったファンタジーを期待するのではなく、着実に進むことこそが近道だというのです。

手っ取り早く幸運を手にしたいならどうするのかと、それでも質問してくる男性がいました。この人はいったいどんな出会いを考えていたのでしょうか。そもそも感性に頼った出会いは女性に分があって、男性にその才能はありません。

急いては事をし損じるという言い方や、慌てる乞食はもらいが少ないという真理をこのような人には紹介する必要があるでしょう。あせらず、自分の周囲を見渡せば、意外と意中の人を見つかるはずです。問題はそのような人を見いだして、関係を育てる努力も工夫もしていないということに違いありません。

どんな関係が幸せ?実は若さを謳歌する楽しみの形があるのです

今回は楽しみの予祝の話をしてみたいと思います。易経は儒学のテキストですから、基本的には楽しみ、喜びを戒める立場を堅持しています。それでも楽しみの卦を持っているのには、人間の本質に楽しみが深く関わっているからに違いありません。

楽しみ、喜びを劣ったこととマイナス・イメージで理解していると結局、ものごとを達成することができなくなったり、中途で挫折を経験する結果に終わるのではないでしょうか。意外と楽しむこと、喜ぶことは私たちにとって重要なのです。

上卦、下卦ともに陰−陽−陽の順番です。同じ卦が上下に重なった形をしています。このように上下が同じ卦が重なってできているのを八卦では純卦といって、とても重要視しています。それだけ大きな力が宿っていると言えるでしょう。

卦は兌と呼び、沢の形を表しています。山の上から流れてくる清涼な小川のイメージです。ものの本によれば、強い立派な陽の2つから一番上の位置を譲られたのが上にある陰だと解説しています。

望外の喜び事があるものです。突然、昔からのつきあいの人がやってきて、思わぬ提案をしてくれることもあるでしょう。あるいは時期でもない大抜擢などは、心臓が止まるかと思うほど嬉しかったりします。このような喜びが兌の意味する喜びです。

ただ、これが喜びの卦でも、喜びにもさまざまにあります。喜びの卦の別の意味には、幼い少女が口を上に向けて大笑いしている様子だと捉える見方もあるから注意が必要です。皆さんの喜びはどちらにあるのでしょうか。

最近、自分一人で楽しめる娯楽が随分と増えてきました。習い事も基本的に一人で楽しむもののように見えます。というのも、古来日本に伝わってきた遊びには一人で遊ぶものがなかったように思うのです。

ヨガや絵画教室、陶芸も彫刻も周囲に誰がいなくても楽しむことができるでしょう。パチンコや競馬も同様です。しかし、誰かと一緒に、ともに喜ぶ経験が二人だけの大切な関係をつくります。これはいつでも変化しない真実ではないでしょうか。

兌為沢の上卦は下を向くと、つまり相手が逆を向くと、陽−陽−陰になります。するとこれは巽卦の風になります。そして全体としては風沢中孚という卦に変化します。ここにも兌為沢の大切な意味が隠されているようです。

風沢中孚と兌為沢は近い仲間で、場合に応じて変化しうるのですが、少しの態度の変化が二人の関係の真実の姿を露呈させてしまうといった結果を招くこともあります。原理原則を貫いた態度を維持するのは想像する以上に難しいですね。

兌為沢の卦を用いて、天に従い人に応じることで運が開けるといいます。天に従うのは、仕方なく従う態度ではなく、喜んで従うのであって、だからこそ、それが楽しみになります。そして人に応じることが大切なのですね。

人の言う言葉かり追従しているのであれば、それは人の支配を受けているのと変わりません。しかし、自らの意思で従うことを選んでいるのであれば、そこには楽しみが彩りを添えてくれるはず。

兌為沢の関係はリード次第で二人の関係を柔軟にできることになります。リードする側の考え次第で、中孚の関係とともに共働して楽しむ状態とがストレスなく移行できます。恋愛関係が夫婦関係に移行し、家族を形作っていくのですから、それはとどまることのない関係の変化だと捉えることもできるでしょう。

楽しみ喜びにも誠実さが必要だと理解できます。思いと一言でいっても、さまざまに考えられるますので、片方が目的を遂げると、立ち消える関係は兌為沢でも中孚になりません。ですから、志の一致による交際は喜びを確認するのが肝心です。相手を対象にすれば正しい喜びでです。

1 2 3 4 5