仕事運を上向きにしたい?それならこんな風に使えるおまじない

昔の事務所には、壁のどこかに必ず1週間の目標が掲示されていました。あるいは安全の標語が欠かせませんでした。販売中心の事務所であれ、工事現場の事務所であれ、同じような雰囲気を持っていたように記憶しています。

言葉を目立つところに掲げておくと、無意識のうちに何度も記憶されることになり、潜在意識に記憶されて効果はしっかりと発現したのですが、仕事の予祝は目標として潜在意識に語りかける効果を持つという意味では同じことです。

相談に見えられる男性は活躍したいという欲求が見え隠れする傾向があります。仕事が思うように捗らない、その理由を探っていくと職場のライバル関係が問題であったり、上司との折り合いがわるかったりで、自分に問題を見いだせるのはまれです。

女性は職場の人間関係についての相談が多く、男性と対照的です。同じフロアの誰かが自分とそりが合わないとか、好きになれない男性が職場で接触してくるなど、周囲の人たちとの関わり方がストレスを生み出していると自己分析しているようです。

確かに仕事などの共同事業では、努力ではどうにもならない要素があります。自分はできる限りの力を出していると考えているのですが、自己批判的な視線はありません。そのような時にみなさん共通の言い訳があるようで、その言葉を聞くと視線を自分に向けるようにと促すようにしているのです。

それは、「私は頑張っている」のに…という主張ですね。ストレスがあっても、思うように行かない障害があっても、頑張っている私に非はないという考え方が支配しているのです。そこで頑張るのが尊いのではないよ、というと皆さん目を丸くされますね。

頑張るのが尊いことなのであれば、全員が命がけで頑張る戦争が最も尊いという結論になります。これは昔、知り合いの年寄りから聞いた話の受け売りですが、その通りでしょう。ただ頑張るのでは、困りものなのです。

適切な努力を積み上げるのが原則です。頑張るのではなく努力を積み上げるということ。1回にどれだけ積み上げるかに、個人差や状況による差が大きいのですが、積み上げていくことで必ず状況が打開されて、いつか結実します。

転職が上首尾にできるかは大問題になるのは、この点にあります。転職によって積み上げ分は消失します。さらに新しい環境がどのようなものであっても自分の能力でどうにかなるものではありません。ここで予祝など古典的技法が求められているように思います。

生活のための仕事か、仕事のための生活かで求めるべき仕事運は違うはずです。仕事の基礎としての家庭という考え方がとても大切で家庭を度外視しての仕事などに意味はありません。時と場所が区別し、人が行動してシーンを作るからです。

時と場所を整えるには、どのような条件が必要なのかを予祝は語ります。それに耳を傾けて準備するのがタイミングを計る要点になってくるでしょう。行動することで状況が変化し始めます。正しい行動を判断するポイントはどこでしょうか。予祝に含まれているはずです。

一人での開運など有り得ません。開運はみんなの開運術でなければならないのです。周囲の人と自分との関わりで運が良いのか、それとも、もうひとつなのかが決まってきます。ですから、家族も同僚も一緒に開運の恩恵を受けるように考えるのが大切です。

開運術としての交際を考えてみるのも良いかも知れません。幸運は人の繋がりを伝わってやってきます。人付き合いが苦手では、効率的ではないでしょう。少しでも交際の幅を広げるにはどうすれば良いかを考えてみるのが良いと思います。

これからご紹介する予祝を頼りに開運を目指して頂ければと思います。